愛好会
あいこうかい
生徒会が団体として承認している団体。
正式に学校が承認しているわけではないので、公欠を取ることはできない。
活動の上で顧問は必ずしも必要ないが、顧問の先生がいる団体もある。浦高祭での企画実施には顧問が必要。
1・2年次で10名以上、顧問がいる、浦高祭での企画実施等、活動実績があるなどの一定条件を満たせば、審査を経て同好会に昇格できる。
銀杏樹
いちょうじゅ
- 浦高のシンボル。門の横にある大きな銀杏の木が有名だが、あれは実は2代目。初代銀杏樹は上グラウンド南端のランニングコースの脇にある。
正門前の銀杏樹はオスの木で、ぎんなんが実らないので、秋も臭くない。
はずだったが、昨年秋に本校を含む公立の男女別学校の共学化勧告が話題になったあたりに、この銀杏樹の付近でぎんなんを数件見かけたという目撃情報があった。植物でたまに発生する木の一部での形質の「メス化」が起こっている可能性があると、本校生物科が調査している。
- 例年新入生向けに配布される新入生歓迎雑誌。
「銀杏樹制作実行委員会(銀実)」なる組織が発行しているが、公式にはそのような組織は存在しない。
歓迎文や浦高生活について、部・同好会・愛好会の宣伝文、生徒からの自由投稿などがある。
内輪ネタも多いこの雑誌、入学した直後はよく分からない生徒もいるが、浦高で生活していく中でよく分かるようになってゆく。
この雑誌にも下(した)ネタがついている。
- 浦高祭2日目午後に応援団によって行われる、演舞「銀杏樹の下に」の略。今年で第58回。
浦高の長い歴史の中で形作られてきた校歌・応援歌のすべてが発表される。
今年1年が10人加入した応援団の力強い演舞は迫力満点なので、ぜひ見に行こう。
詳しくは応援団のページへ。
- 本校同窓会が創立100周年などの節目で発行する記念誌のこと。麗和会館2階の資料展示室で見られる。
銀杏乱舞
いちょうらんぶ
正式には「拍手・銀杏乱舞」の略。
1988年に発表されて以来、代々応援団のリーダー長のみが舞うことを許されている。
その手の動きは、銀杏の舞い散る様を体現している。
一般的に対面式・離任式・体育祭・卒業式などで行われるものは乱拍子→三三七拍子→フィナーレと進むが、「日輪の下に」や、浦高祭2日目午後に行われる「銀杏樹の下に」の演舞では普段見ることのできない一拍子・二拍子も行われる。
浦高祭2日目午後の「銀杏樹の下に」で披露されるので、ぜひ見に行こう。
イベパ
いべぱ
文実に13あるパートのの1つである「イベントパート」の略。
体育館や視聴覚室、パルテノン等で行われる団体発表の調整や、イベントステージで行われる各種イベントの主催を行う。
イベントの情報はこちらからどうぞ。
Whitgift
うぃっとぎふと
「Whitgift School」の略。一般的に「ウィットギフト校」と呼ばれる。
イギリスのパブリックスクールで、浦高との姉妹校。ちなみにどちらも男子校。
本校創立100周年の1995年に姉妹校の締結式が行われた。
浦高よりはるかに長い歴史を持つ。(本校は1895年創立、ウィットギフト校の歴史は1596年にさかのぼる)
本校と長期交換留学制度があり、ウィットギフト校に留学し卒業後海外大学に進学する生徒が例年存在する。
そのほか、隔年で短期留学と受け入れを行っている。
多くの地域をルーツに持つ方々が集まっており、非常に多様性のある空間らしい。
雨天決行の原則
うてんけっこうのげんそく
本校の行事は原則として、雷がなければどんなに大雨でも中止になることはない。
1990年の古河強歩大会が新幹線の止まる暴風雨の中行われた後定着し、1996年の百年対決など、あらゆる行事が大雨の中行われてきた。
事実、今年の体育祭は2年連続大雨の中行われている。
体育の授業でも、外周走の場合はだいたい適用されるが、球技の場合は部活動に支障が出るので適用されない。
また、臨海学校の水泳実習は、天気のほかに波の激しさ、水温などを総合的に判断して実施可否が判断される。
浦高ハレルヤは適用されないほか、フリーマーケットや後夜祭のフォークダンスは地域の方や来場客の着替え場所の確保が困難なため適用されず、キャンパスファイヤーも雨だと火が消えるので適用されない。
浦高
うらこう
「埼玉県立浦和高等学校」の略。各種応援歌にもたくさん登場する。
「浦和高校」と呼ぶと、県立と市立があるのでどちらか分からなくなるが、この呼び方をすればほとんどの方は必然的に本校を連想できる。
沖縄県にも「浦高」と称する高校はあるが、浦高生はあまりその存在を知らない。
浦高祭
うらこうさい
本校で行われる文化祭の名称。今年で第77回を数える。
かつては文化祭と体育祭をあわせて「浦高祭」と呼んでいたが、近年は専ら文化祭のことを指す。
すべてを生徒が運営する。
詳しくは「浦高祭について」をご覧ください。
浦高生
うらこうせい
一般的には浦高の生徒のことを浦高生と呼ぶが、校内では若干特殊な意味でも使われる。
校内での「浦高生」は、本校生徒のうち、知・徳・体がバランス良く身についた、生徒としてふさわしい存在を指す。
そのため、入学した1年次の生徒は「臨海学校が終わるまでは浦高生とはいえない」と言われる。
浦高生サブレ
うらこうなまさぶれ
浦高祭で例年販売される菓子。例年梅林堂(外部に飛びます)さんが作ってくださる。
まあ好きな呼び方で読んでほしい。
詳しくはグッズのページをご覧ください。
浦高ハレルヤ
うらこうはれるや
例年浦高祭の前日に宣伝隊がJR大宮駅周辺で行う儀式。
その宣伝効果は非常に大きい。
いくら雨天決行の原則とはいえ、雨天だと浦高祭の来場者数が減ってしまうので、当日の晴天を願い行われる。
コロナ渦以降実施されていないが、今年は実施予定。
大高祭
おおこうさい
浦高祭の2週間前、8月31日と9月1日に埼玉県立大宮高等学校で行われた文化祭の名称。
昨年は浦高祭の1週間前、おととしは浦高祭と同日開催だった。
おととしの浦高祭パンフレットには大高祭の欄があり、「恩も義理もないが、微妙に余ったスペースを埋めるためだけに紹介」されていたが、今年から彩の国文化祭ネットワークの加盟校ということで、義理ができた。
押忍
おす
浦高の返事。所属する部活動によっては引退近くまで使い続けることもあれば、新入生オリエンテーションの2日間限定であることもある。
化実
かじつ
「文化大会実行委員会」の略。
本校が創立100周年を迎える頃に生徒会に設置された。
校内将棋大会(5月)・クイズ大会(6月)・百人一首大会(7月)・弁論大会(10月)・漢字大会(10月)を主催する。
クイズ大会と弁論大会を除いて定期考査の直後に行われる。
本当は略称を「文実」にしたかったらしいが、とある組織によりすでに使用されていたためやむなく「化実」としたらしい。
今年度は副文実長兼文実スリッパ長兼生徒会庶務代表が化実長も兼任している。
課題テスト
かだいてすと
長期休暇後に行われる、長期休暇中の課題の達成度を確認するテスト。
国語の出題内容は漢字・古文・漢文で、原則として現代文の読解はない。
国語で70点未満を取ると再テストに行かなければならない。
新入生に対しても新入生オリエンテーションの直後に行われ、合格発表後に遊びすぎて春休みの課題をろくにやっていないと痛い目にあう。
学籍番号
がくせきばんごう
すべての浦高生に年度ごとに割り振られる4桁の番号。
例:2年3組3番→2303 のように割り振られる。各種名簿の管理などで頻繁に用いられる。
体育着の前後には大きな字で学籍番号が書かれており、まさに刑務所の囚人番号のよう。
キャンパスファイヤー
きゃんぱすふぁいやー
浦高祭の一般公開終了後、生徒のみで行われる。
任意参加のフォークダンスと異なり、こちらは基本的に生徒は全員参加する。
「遠き灯」が流れ、生徒同士が文化祭の激務をいたわる。
文実CFパートが中心となる。
くすのき祭
くすのきさい
浦高祭の1週間前、9月7日と9月8日に埼玉県立川越高等学校で行われた文化祭の名称。
本校と同じく公立の男子校である。水泳のシンクロで有名。
門の制作は本校の門隊と腕前を競っている。くすのき祭の今年の門のモチーフは伏見稲荷大社らしい。
過去に何度かグッズ等でコラボを行ったことがある。こちらも彩の国文化祭ネットワークの加盟校である。
校歌
こうか
「埼玉県立浦和高等学校 校歌」の略。
入学式・卒業式のほかに体育祭・臨海学校などでよく歌われる。
歌詞には1937年まで本校があった「鹿島台」(現浦和警察署付近)の地名が出てくる。
歌詞の最後は「広き宇内に雄飛せん」で、卒業後の社会での活躍を意識している。
古河強歩大会
こがきょうほたいかい
通称「古河マラソン」、もしくは「古河マラ」。
例年11月第1日曜日に行われる、浦高から古河市立古河第一小学校まで走る行事。
その距離なんと50km。
旧制中学時代に行われていた「8時間で日光街道をどこまでいけるか」を競う耐久競争にルーツがあり、最遠到達点は栃木県下野市の石橋だそう。
戦中の休止を経て、戦後とある生徒会長の公約が実り復活。耐久競争では多くの生徒が埼玉県を脱出しようと頑張っていたことから、古河が目的地となった。開始当初は9割が未舗装だったとか。
途中の岩槻(10km)、白岡(21km)、久喜(30km)、幸手(33km)、栗橋(42km)、大利根(44km)には関門が設けられており(大利根のみ準関門)、制限時間までに通過できないと古河まで行けずに停止となる。
特に久喜関門は時間設定が厳しく、「久喜マラ」という言葉が生まれるほど。
走り切るには体力だけでなく強い精神も要求され、普段あまり関わりのない仲間とも励まし合いながら走るという、人間ドラマが生まれやすい。
1990年には台風並みの低気圧による暴風雨で新幹線が止まるなか実施されたこともある。(「雨天決行の原則」はこの後定着した)
ちなみに例年古河到着後、歩いて浦高に帰る(=往復100km)生徒が存在する。「逆古河」と呼ばれる。
創立100周年を迎えた1995年には「100周年の記念に往復100kmを完走する者が多数出た。」と、学校から配布される「強歩大会のしおり」にある。
コンピ
こんぴ
「文実コンピューターパート」の略。
公式SNSと公式サイトの運営を行っており、このサイトを作っている我々のこと。
昨年度まで正式名称は「コンピューティングパート」だった。
再テスト
さいてすと
国語の課題テスト・中間テスト・定期考査で70点未満を取ると行かなければならないテスト。
数学で50点未満を取ってしまった場合にも再テストがある。
開始時刻は朝7時30分で、そのために朝早く来ないといけない。会場はA棟3階の視聴覚室が有名。
彩の国文化祭ネットワーク
さいのくにぶんかさいねっとわーく
今年度本校から発起し、現在本校の他に浦和西高校、大宮高校、県立川越高校の計4校で活動中の文化祭で連携を行うための組織。
共同宣伝時の交渉の円滑化を目指しており、また交換宣伝、公式SNSとサイトの運営を行っている。
詳しくは文化祭ネットワークのページをご覧ください。
三実委
さんじつい
本校生徒会に設置されている、3つの実行委員会の総称。
体育祭実行委員会・文化祭実行委員会・文化大会実行委員会がこれに該当する。
自彊館
じきょうかん
13Rの先、渡り廊下に出て右に曲がったところにある建物。初見だと謎の建物。
その正体は1階が柔道場、2階が剣道場である。
柔道場では年次集会が行われることもしばしば。
JK
じぇーけー
- 「女子高生」の略。本校は男子校だから、同年代の女子と話す機会はめったにない。
- 「JR京浜東北線」の路線記号。
浦高生の多くはこの路線を使って通学している。
神奈川県の大船駅から数えて全47駅で、各駅にナンバリングがされている。本校最寄りの北浦和駅のナンバリングは「JK-44」である。
下ネタ
したねた
新入生歓迎雑誌「銀杏樹」やはじぶん、浦高祭での一般客向けのパンフレットの下に書いてある、浦高に関する小ネタの通称。
初見だとよく分からないものもあるが、分かると結構面白い。
大半の浦高生は冊子が配られると、まず下ネタから読み始める。
湘南戦
しょうなんせん
1957年から2002年まで毎年行われていた、本校と神奈川県立湘南高等学校との定期交歓戦の、本校から見た名称。
湘南高校では「浦高戦」と呼ばれていたらしい。
主に運動部同士の対戦であったが、湘南高校の女子生徒の割合が増加するにつれ、両校の交流会の意味合いも強くなっていった。
かつては「湘南戦実行委員会」があったために、現在の三実委は「四実委」と呼ばれていた。
通算成績は浦高の31勝16敗。
ちなみにこのときの応援歌の名残で、今でも野球応援マーチの中に「湘南倒せ」という曲がある。
尚文昌武
しょうぶんしょうぶ
本校が掲げる教育方針の一番の核となるもの。
「文を尚(たっと)び、武を昌(さか)んにす」と書き下し、「文武両道」を意味する言葉である。
本校第2代校長の藤井宣正氏の造語。
詳しくは、本校ホームページ(外部に飛びます)をご覧ください。
新入生オリエンテーション
しんにゅうせいおりえんてーしょん
例年入学式の翌日から2日間にわたって新入生向けに行われる行事。
新入生歓迎行事の一環で、新入生に立ちはだかる最初の試練でもある。
県内随所のトップ層が集まる浦高。新入生はこの行事を通して中学校での優越感は消え、浦高生活を歩み始めるうえでの決意を新たにする。
ちなみに上級生はこの間普通に授業があり、所属する部活動などで出演するときだけ公欠を取って参加する。
新入生歓迎マラソン
しんにゅうせいかんげいまらそん
例年5月に国営武蔵丘陵森林公園で行われる10kmのマラソン大会。通称「歓マラ」
はじめは1年次が先頭でスタートしたはずだが、気づいたら上級生が前に来ている。
新入生の体力向上を目的として始まり、かつては浦高と大宮氷川神社を往復していた。
距離は古河強歩大会の5分の1だが、それだけ速いペースで走るので体教曰くこっちのほうが気を遣うのだとか。
スキー教室
すきーきょうしつ
かつて1年次の希望者を対象に、冬休み中に群馬県の嬬恋高原で行われていた行事。
2020年度からコロナ禍による中止が続き、暖冬傾向による雪不足や働き方改革などの理由で昨年度正式に廃止された。
スポーツ大会
すぽーつたいかい
本校で年間を通して実施される行事。
運動委員会と体教が中心となって運営する。
サッカー(5月)、綱引き(5月)、ソフトボール(7月)、バレーボール(7月)、水泳(9月)、卓球(10月)、駅伝(11月)、ラグビー(12月)、バスケットボール(12月)、剣道(3月)、柔道(3月)の大会が行われる。(綱引き大会は体育祭の予選の位置付け)
HRの対抗戦(剣道大会は2年次、柔道大会は1・2年次)で行われ、下級生は上級生を目指すべき高い壁としてとらえることが多いが、下級生が上級生に打ち勝つこともある。
そしてすべての大会に教員チームが参加し、生徒に対して手加減しない。
特に12月のラグビー大会では教員チームが試合で負けたことはここ12年ない。
(2022年は教員の間で感染症が流行し、大事を取って棄権。昨年は優勝。)
水泳大会と駅伝大会以外はすべて定期考査の直後に行われるため、考査期間中に練習を行う姿がよく見られる。
宣伝隊
せんでんたい
文実に13あるパートの1つ。
一般の方や他校の生徒に向けて浦高祭の宣伝を行っているパート。
例年門隊を超える120人以上が所属しているが、門隊と同じく働いているのは数名程度。
主に道路使用許可・学校の敷地使用許可などを取得しててビラ配りを行っているほか、他校への掲示ポスターの配布も行っている。
浦高祭前日には当日の晴天を願って「浦高ハレルヤ」を行うことが毎年恒例となっているが、コロナ渦以降実施されていない。(昨年度は後夜祭で実施)
掃除を丁寧にやる日
そうじをていねいにやるひ
毎週火曜日と金曜日が該当する。
普段机を移動させずに掃除する(HRによる)教室もこの日は机を移動させて掃除する。
職員室など掃除を丁寧にやる日のみ掃除する場所もあれば、掃除を丁寧にやる日とそうでない日の境界が無い場所もある。
かつて掃除を丁寧にやる日には授業変更の連絡黒板に「掃除を丁寧に」と書かれたマグネットが張られていたが、今年度から授業変更黒板のデジタル化により「掃除を丁寧に」のマグネットは廃止された。
総務
そうむ
体実やPTAにも総務はあるが、ここでは文実総務に就いて解説する。
浦高祭の中枢を担うパート。例年、文化祭実行委員長をはじめとする文実の要職を輩出する。
主に行うことは以下の通り。
- 他パートの進捗の確認、補佐
- 幹部会および教員を交えての最終調整
- 企画書審査
- 会場設営の手伝い
- 自転車誘導
- 校内巡回
- 受付対応
※すべて今年度の「はじぶん」より引用
卒業式
そつぎょうしき
例年3月中旬に行われる。名の通り、3年次の生徒はこれをもって卒業する。
卒業式では生徒入場が行われず、退場のみが行われるのが特徴。
式典終了後、生徒は正面玄関前に集い、応援歌「八重雲起る」の斉唱や銀杏乱舞の披露があるほか、皆の前で思いを叫ぶ場が設けられる。
ある意味こっちが本当の卒業式かもしれない。
体育
たいいく
- 本校が特に力を入れている科目の1つ。
学習指導要領の目安は卒業までに7~8単位だが、本校は9単位設定されていおり、体育の授業はどの年次も週3回ある。
のみならず、1年次の1学期は保健の授業という名目で体育をやるので、入学当初は週4回体育の授業がある。
新入生歓迎マラソンや強歩大会の前1ヶ月は30分間ひたすら走るし、臨海学校の前2ヶ月はひたすら平泳ぎをする。
- 体育館入口の脇にある「体育教官室」の略。
「体育館管理室」が正式名称だがほとんど「体育教官室」と呼ばれており、入口手前にあるAEDにも「体育教官室前」のシールが貼られている。
体教のスペースであり、体教が生徒を呼び出す際にこの略称を使う。用例:「●○R □□(名字)、至急体育まで。」
体育祭
たいいくさい
浦高祭と並ぶ、生徒が運営する行事では本校の2大行事の1つ。
かつては体育祭も含めて「浦高祭」と言ったらしい。
HRの対抗戦で行われ、パネルパフォーマンスに始まり、鉄人レースや忍者リレー、棒倒しといった様々な種目が行われる。
各HRが得点を賭ける、浦高ダービーなんていう種目もある。
今年は2年連続の大雨の中行われた。
ちなみにコロナ禍以降、原則平日に行われ、一般非公開。
体育祭実行委員会
たいいくさいじっこういいんかい
体育祭を運営する組織。略称は「体実」
こちらも文化祭実行委員会と同じく、完全有志の生徒によって成り立っている。
総務・競技・用具・会場・デザパの5つのパートがある。
大海超えん
たいかいこえん
「浦和高校第4応援歌」の通称。曲名という説もある。
2019年に発表された最も新しい応援歌。
他の応援歌と一線を画した、爽快なリズムが特徴。
そのため、比較的人気の応援歌であり、「八重雲起る」ほどではないものの覚えている生徒も多い。
浦高祭2日目午後に行われる「銀杏樹の下に」で披露される。
体教
たいきょう
「体育教官」の略。
浦高生による体育の先生の通称。
多くの場面で、一般の教員と区別される。
本校教員の中でもとりわけ個性が豊かな先生たちで、体育祭のパネルパフォーマンスでは人気の題材である。
第3応援歌
だいさんおうえんか
現在の第2応援歌と同時期に作られた応援歌。
発表当初は「第2応援歌」であったが、1985年に応援歌「八重雲起る」が復活してからは第3応援歌となった。
応援時は本校がチャンスの際に歌われるらしい。
情熱を「こころ」、「思念」を「おもい」と読むなど、特殊な当て字が用いられる場所がある。
浦高祭2日目午後に行われる「銀杏樹の下に」で披露される。
第2応援歌
だいにおうえんか
「八重雲」が完全に忘れ去られていたころ、「天下の浦高に応援歌がないのは物足りない」ということで第1応援歌として作られた。
1985年に応援歌「八重雲起る」が復活してからは第2応援歌となった。
応援歌の中で唯一3番まである。(他はすべて2番まで)
応援団の「銀杏の型」が特徴のほか、歌詞に「浦高」が16回も登場する。
浦高祭2日目午後に行われる「銀杏樹の下に」で披露される。
対面式
たいめんしき
例年入学式の翌日に行われる、新入生と上級生が初めて対面する場。
上級生の代表が新入生に祝辞を述べた後、所属する部活動の宣伝を始めてしまうので、他の生徒は平和的な方法でこれを妨害しようとする。
中間テスト
ちゅうかんてすと
世間では学期の中間に行われる定期考査を指すことが多いようだが、浦高では考査と考査の中間に行われる年5回の国語のテストを指す。
出題内容は漢字・古文・漢文で、原則として現代文の読解はない。(漢字はある)
これも70点未満を取ってしまうと後日再テストに行かなければならなくなる。
定期考査
ていきこうさ
年5回行われる考査(テスト)。
名称は「1次考査」「2次考査」「年次末考査」が用いられる。
国語は今年から科目名が学習指導要領に準拠したものに変わったので、「現代の国語」で漢文が得点の半分以上を占めることになった。
1・2年次の2学期2次考査と年次末考査では「保健」が実施され、総合順位にも反映される。
もちろん国語で70点未満を取ってしまうと後日再テストに行かなければならなくなる。
デザパ
でざぱ
文実と体実にある「デザインパート」の略。
グッズのデザイン・販売とパンフレットの制作が主な仕事。
同好会
どうこうかい
学校も生徒会も団体として承認しているが、生徒会から予算が支給されない団体。
正式に学校が承認しているので、公欠を取ることができる。
1・2年次で15名以上、明確な教育目標があるなどの一定条件を満たせば、審査を経て部(生徒会から予算が支給される)に昇格できる。
遠き灯
とおきひ
1963年10月の第16回浦高祭で制定されたキャンパスファイヤーの際に歌われる曲。
一般的には応援歌には含まれないが、新入生が春休みの課題として覚えておかねばならない曲の1つ。
かつてはこの歌声が800m離れた北浦和駅まで聞こえたこともあるとか。
長屋
ながや
文化部棟の通称。主に文化部室のある2階を指し、3階は合宿棟と呼ばれ、部活動の夏合宿や三実委合同説明会の際に使われる。
また、1階は自転車置き場であるが、浦高祭ではすべての自転車が撤去され、ここで数団体が企画を行う。
とても一般客に見せられるものではないということで、一般公開や浦高祭当日では封鎖される。
ちなみに、この建物は1982年に建設されたものだが、その誕生日がクリスマスであることはあまり知られていない。
西高祭
にしこうさい
浦高祭の1週間前、9月7日と9月8日に埼玉県立浦和西高等学校で行われた文化祭の名称。
浦和西高校は校則がなく、また自由な校風であるという点は本校と同じだが、女子校にルーツを持つ共学校ということで本校と校風は異なる。
後夜祭(非公開)はAF(アフターフェスティバル)というらしい。
こちらも彩の国文化祭ネットワークの加盟校である。
日輪の下に
にちりんのもとに
不動岡高等學校応援部・熊谷高等學校應援團・川越高等學校應援團・春日部高等學校応援指導部・浦和高等学校応援団・松山高等學校應援團(すべて県立)から構成される六校応援団連盟による、各校の演舞を披露する演技発表会。
1977年に本校と熊谷高校、県立川越高校、春日部高校で四校応援団連盟が結成、同年に「第1回 日輪の下に」が開催された。
(第4回まで年2回、以後年1回)
1979年に不動岡高校が、1985年に松山高校が加わり、現在は六校応援団連盟として活動している。
演技発表会では各校の校風を体現した演舞のほかに、高校の垣根を超えた応援団のコラボも見ることができる。
今年度の「第50回 日輪の下に」は2025年2月9日(日)に埼玉県立不動岡高等学校で行われる予定。
入学式
にゅうがくしき
例年4月上旬に行われる。
入学式では生徒入場が行われる(退場はない)のが特徴。式典では新入生が春休みの課題で覚えた校歌を斉唱する。
来賓が退場して式典が終了した後、休憩をはさんで新入生と保護者を対象とした説明会が行われる。
ちなみにこの式典で使用したパイプ椅子を片付ける役目は新入生が担う。
はじぶん
はじぶん
「はじめてのぶんじつ」の略。
例年新入生歓迎雑誌「銀杏樹」と同じ日に文実が新入生全員に配布する冊子。
各パートからの宣伝が印刷されている。
この冊子で文実の存在を知り、惹かれて加入を決めた新入生も少なくない。
今年、初めてこの冊子に下(した)ネタが付いた。
パネルパフォーマンス
ぱねるぱふぉーまんす
体育祭で行われる、「クラスパネル」と、生徒入場を兼ねて各ホームルームが行う「クラスパフォーマンス」の総称。体実会場パートの管轄。
浦高の体育祭に入場行進などというものはない。
どちらも例年、時事ネタを題材としたものが多く、力作が並ぶ。
相変わらず体教は人気の題材。
パルテノン
ぱるてのん
A棟とB棟の間にある謎の建築物。
その正体は、1980年の新校舎建設の際に、旧校舎から移設された玄関口である。
主にアルバム撮影で使用されることが多いほか、浦高祭ではここで幾つかの団体が発表を行う。
春休みの課題
はるやすみのかだい
一般的な小・中学校と違い、浦高では春休みもたくさんの課題が出る。
特に新入生は合格発表の直後から課題を出されるので、受験勉強からの解放感に浸っている暇はない。
(そうは言っても、計画的にやれば十分遊ぶ時間は取れる)
新入生に課せられる課題には、1学期の予習課題のほかに「毎日5km走る」「校歌・応援歌を覚える」などといったものがある。
入学前にこの課題をろくにやることなく、入学して暫くした後に後悔した生徒のなんと多いことか。
百周年歌
ひゃくしゅうねんか
曲名は「勝て浦高 突き進め」
本校の創立100周年を記念して、1995年に発表された応援歌。作曲者は本校OBで「銀河鉄道999」の作曲者としてもおなじみのタケカワユキヒデ氏。
百年対決
ひゃくねんたいけつ
1995年10月5日に本校が、その翌年に埼玉県立熊谷高等学校が創立100周年を迎えたのを記念して、当時の本校生徒会長が立案し、1996年7月9日に大雨の中決行された対決。
各部活動ごとの対決ののち、両校の全校生徒によるラグビーが行われ、浦高が勝利。
トロフィーは2095年に行われる予定の「二百年対決」まで大切に保管される。麗和会館2階の資料展示室に展示されている。
フォークダンス
ふぉーくだんす
浦高祭2日目終了後、浦高生が主に一般客を誘って行われる。
途中参加も可能であり、例年8~9割の浦高生が参加するらしい。
フォークダンスを踊ることを浦高祭の目的としている生徒もいれば、初めから踊らないと心に決めている生徒や、忙しくて踊れない生徒もいる。
2014年の第67回浦高祭で約20年ぶりに復活した。
これもキャンパスファイヤー同様、文実CFパートの所轄。
物レポ
ぶつれぽ
「物理実験レポート」の略。
2・3年次の物理選択者に課せられる。内容はかなり本格的であり、原則としてすべて手書きである。
グラフや考察など、相当な量を書かなければならないので、提出率は良くないが、全力を注ぐ生徒もいる。
提出日が定期考査1週間前にこともしばしば。
フリーマーケット
ふりーまーけっと
浦高祭2日目午前に、A棟の脇から麗和会館前にかけて行われる。
主に地域の方が協力してくださり、出品する。
文実フリマパートが中心となって運営するほか、各HRからフリマ係を選出してもらい運営する。
文化祭実行委員会
ぶんかさいじっこういいんかい
通称「文実」。
浦高祭を企画・運営する団体。一部では「浦高祭実行委員会」とも呼ばれる。
総務、門隊、宣伝隊、デザパ、CF、イベパ、式典、フリマ、整備、設営、コンピ、食品、スリッパの13パートがある。
詳しくは文化祭実行委員会のページへ。
ホームルーム
ほーむるーむ
一般的にクラスのこと。「HR」と略すことがある。
本校では●年○組を一般的に「●○R」と呼ぶ。例:1年2組→「12R」
「R」はしばしば省略される。
㋣
まると
本校では朝に授業変更が発表されるが、中には教科名が〇で囲まれたものがある。
これは担当の先生がいないことを示しており、生徒はその教科の与えられた課題に取り組む。体育や工芸も〇で囲まれることがある。
そんな中、授業変更に㋣とあることがある。これがあるHRの生徒は大喜びする。
㋣は「自習時間」の意味で、教科を決めずに自習する意味。「ト」は図書館の意味で、「図書館での自習」が原義である。
㋣では自習に限らず、食事をとったり、体育の授業の妨げにならない範囲で運動をしたり、一度学校を出て近くの店で買い物をする生徒もいる。
定期考査直前に㋣を与えられた生徒の自習に臨む姿勢は真剣そのもの。
先生と生徒の間の深い信頼があってこそ成り立つシステム。
㋣移動
まるといどう
㋣があるHRの生徒が、その日にある他の教科の先生に頼んで、㋣の時限に授業をしてもらう代わりに本来の授業の時限を㋣にしてもらうこと。
4限や5限に㋣を移動させて、近くの店に外食にに行くために昼休みを長くすることを目指したり、最後の時限に㋣を移動させ、㋣切りを目指したりする。
先生も他のHRの授業も受け持つ関係で必ずしもうまくいくとは限らない。その場合は、2教科の時限を三角移動させて目的の時限に㋣を移動させるというテクニックもある。(「㋣の三角移動」という)
㋣切り
まるとぎり
最終時限が㋣となったHRが、通常時刻より早く放課となること。
㋣があることさえめったにないことなのに、それが最終時限で、かつHRの担任がその時間にSHR(=帰りの会)をやってくれないといけないので、難易度はとても高い。
㋣食い
まるとぐい
もともと㋣であったはずの時限が、授業を必要としている別の教科の先生によって再変更され、授業になってしまうこと。
ミスコン
みすこん
「ミス浦高コンテスト」の略。
浦高祭2日目午後に行われるイベントの1つ。
その内容は女装した浦高生の頂点を決めるというもの。
2013年の第66回浦高祭までは一般公開終了後の時間帯に行われ、浦高祭の最後を飾る特別なイベントであったが、翌年のフォークダンスの復活によって一般のイベントに成り下がった。
門隊
もんたい
浦高祭のシンボルとなる入場門を制作する、文実の1パート。
門隊員は70人以上いるが、実際に活動しているのは数名程度。
今年の門のモチーフは天壇祈年殿。
門隊の活動はモチーフ決め→設計→木材切り出し→装飾作成・建築と、作業は1年がかりである。
八重雲起る
やえぐもおこる
浦高生に最も愛されている応援歌。
1951年に生徒の手により応援歌「八重雲」が制作され、その後自然消滅。
1985年に当時の応援団によって、「八重雲」をもとに足りない部分の歌詞が埋められ、また振り付けが作られ、応援歌「八重雲起る」として復活。
以後、壮行会や体育祭・臨海学校など、事あるたびに必ず歌われ、生徒に定着している。
埋めた歌詞は短時間で考えたものらしく、応援歌として定着した後に当時の応援団は「もっといい詞を考えればよかった」と語る。
浦高祭2日目午後に行われる「銀杏樹の下に」で披露される。
臨海学校
りんかいがっこう
例年1年次が7月中旬、3泊4日の日程で静岡県南伊豆町の弓ヶ浜で行う行事。
行うことは主に水泳実習。例年隣の逢ヶ浜(おうのはま)での生物観察も行われるが、今年度は中止となった。
事前の体育の授業での泳力別に上級、中級、初級A、初級B、赤帽に分けられ、最終日は最長2kmの遠泳を行う。(今年度は短縮)
1958年に千葉県の安房勝山で始まり、1968年に水質などの問題で弓ヶ浜に移った。東日本大震災後の津波の新想定の影響で2012年から3年間瀬波温泉海水浴場で実施されたこともある。その後津波想定のさらなる調査、弓ヶ浜の津波避難タワーの建設などで2015年から再び弓ヶ浜で行われている。
「浦高生になるための登竜門」として位置づけられている。
その裏には安全に臨海学校を行うための関係機関や水泳部、多くの教員やOBの努力がある。
離任式
りにんしき
例年4月中旬に行われる、退職・転出された先生をお招きして行われる式典。1年次の生徒も参加する。
今年度は7月の終業式の前に年度途中で転出される先生に対しても行われた。
式での先生方の講話は、異動された先生の浦高での最後の授業と位置付けられる。
麗和会館
れいわかいかん
1985年の創立90周年に際して建設された同窓会館。
1階が食堂、2階が資料展示室と会議室になっている。
資料展示室は創立120周年の2015年に窓の撤去や配置の変更といったリニューアルがなされた。
浦高祭当日は1階で食堂が営業され、2階ではPTA総務がグッズ販売を行う。